前田隣さん 永眠される
2009年2月19日 日常
今日Fさんから携帯にメール。
前田さんの訃報を知った。
私が5年前辺りに痙攣性発声障害で声が出なくなり、
仕事も辞め、原因も判らず、毎日泣いてばかりだった。
欝にもなったし、遠赤さんも私から離れていった。
そんな頃、平日昼間浅草をブラブラしていた際、
偶然にも『東洋館』に立ち寄り、前田さんの舞台を初めて観た。
キレ味の鋭いナイフの様な言葉を発するのだが、
その言葉が何処か不思議と暖かい漫談だった。
それからmixiを通じて直接お話して頂いたり、
ダーリンガールズの飲み会にも誘って頂いたりした。
いつも優しく声を掛けて下さる方だった。
きっと甘くてショッパくて苦くて酸っぱい人生を送ってきたからこそ、
他人に優しく出来る事が出来たのだろうと思う。
『それじゃあダメだよ!』と叱って下さったのも嬉しかった。
ご本人自分の病気等、既に覚悟はされていたのだろうが、
愛する奥様の事だけが本当に心配で心残りだった事だろう。
※写真は2年前の飲み会の際に撮影した写真。(セーターはコムデギャルソン!)
前田さんの訃報を知った。
私が5年前辺りに痙攣性発声障害で声が出なくなり、
仕事も辞め、原因も判らず、毎日泣いてばかりだった。
欝にもなったし、遠赤さんも私から離れていった。
そんな頃、平日昼間浅草をブラブラしていた際、
偶然にも『東洋館』に立ち寄り、前田さんの舞台を初めて観た。
キレ味の鋭いナイフの様な言葉を発するのだが、
その言葉が何処か不思議と暖かい漫談だった。
それからmixiを通じて直接お話して頂いたり、
ダーリンガールズの飲み会にも誘って頂いたりした。
いつも優しく声を掛けて下さる方だった。
きっと甘くてショッパくて苦くて酸っぱい人生を送ってきたからこそ、
他人に優しく出来る事が出来たのだろうと思う。
『それじゃあダメだよ!』と叱って下さったのも嬉しかった。
ご本人自分の病気等、既に覚悟はされていたのだろうが、
愛する奥様の事だけが本当に心配で心残りだった事だろう。
※写真は2年前の飲み会の際に撮影した写真。(セーターはコムデギャルソン!)
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